「調理」と「加工」
たべる目的
たべたものは、何になるでしょうか?
わたしたちの、生きるエネルギーになります。
わたしたちの、体になってゆきます。
それらをまとめて、「栄養」といいます。
わたしたちは、「栄養」をとって、生きています。
栄養をとらずに、生きてゆくことは困難です。
たべものは、とても大切です。
大切なだけでなく、たのしみです。
ひとのたべもの
ひとのたべものは、ほかの動物とことなります。
「調理」されたものをたべる。
にる。
焼く。
蒸す。
味つけをする。
醸造する。
育てる(このことは、ここでは、はぶきます)。
ひとは、食材に手をくわえてきました。
その目的は、いろいろあります。
より、おいしくするため。
より、安全のため。
より、保存をきかせるため。
より、消化吸収をよくするため。
より、たべやすくするため。
これらの行為は、その土地の「文化」となって伝承されてきました。
日本は、とくに食の文化のゆたかな国です。
たべるための手間を、「調理」といいます。
調理をする場所の主役は、「台所」です。
おおきな台所は、「調理室」ともいいます。
「調理」から、「加工」へ
生きる基本であるたべもの。
ここに「利権」が、入りこんできました。
それも、巨大な、と形容される現代利権です。
しかも、単なる利権ではありません。
現代化学の知恵(悪知恵)をたずさえてです。
その結果が、現代のたべものです。
より、安価に。
より、大量に。
より、おいしく感じられるように。
より、保存がきくように。
より、依存性がうまれるように(再購入)。
ここで大活躍しているのが、「化学物質」です。
おおざっぱに成分名でいうと、カタカナでかいてある物質です。
(ときに、まぎらわしい化学物質名もあります)
化学物質をまぶしてつくるたべもの。
そのため、つくる場所もかわりました。
「調理室」ではありません。
「工場」です。
工場でつくられるたべものは、超加工食品とよばれることもあります。
でも、安くて、おいしくて、長持ちして、何が悪いの?
それらは、「栄養」をはぐくむ「食品」といっていいかどうか。
「利潤」をうむための「商品」です。
(わたしの個人的見解です)
栄養のとらえかた
3大栄養素という概念があります。
タンパク質
脂質
糖質
それぞれ、適切な量がありますよ。
あわせて、カロリーという概念も大切ですよ。
こういうはなしが、行き来します。
(わたしも、します)
でも、いま、根本的に考えを変えねばならない時代になっているのかもしれません。
加工品をとればとるほど、健康がむしばまれることがわかってきたからです。
糖質とか、脂質という概念より、もっと大切かもしれない。
どれだけ、加工品が、オナカに入ってきているか。
どんな加工品が、オナカにたまってきているか。
そこを考えずに、食をみられなくなっています。
生活習慣病のおおきな根っこであるたべ方。
養生にかかわるたべ方。
そこを左右する化学品の数々。
矛盾なのか、合理的なのか
依存性を生みだす化学品の数々。
たべものや、のみものに満載です。
ますます、たべたくなる仕組みの連鎖です。
その毒性への規制が、おそらく世界で一番ゆるい(できない)国がわが国です。
ほかの国では決してつかえない化学品が、ふつうに使われています。
とうぜん、たべすぎれば、健康を害します。
そんなこと、だれもわかっています、病院でいわれなくても。
でも、手がでてしまう。
そうさせる成分がはいったたべものが、作られているからです。
個人の意思の問題をこえています。
そこで登場する、第一弾は、健康を害した方への医療です。
かずかずの薬が、開発されています。
脂質異常、糖尿、高血圧、など
一般的な検診は、この3つを見つけだすのが目的です。
患者さんのほりおこし。
そして、第二弾が、登場してきました。
こんどは、「たべたくさせなくする」薬の登場です。
人間の本能である食中枢にブレーキをかける薬。
本能にまで薬が入りこんで、いいんでしょうか。
たべたくさせる化学品をつかって肥したら、つぎは、たべたくさせなくする化学品へ。
そう、西洋薬は化学品です。
もう、わたしの時代は終わったな。
この流れには、まったくのれません。
化学品でおかしくなったのなら、化学品をぬこう。
わたしの時代の常識でした。
依存症とか。
時代は、変化しているんですね。
コンビニのたべものの、ほとんどが加工品です。
化学品が入っていないものをみつけることは、困難です。
スーパーの梅干しですら、塩とシソだけのものが見つからなくなってきました。
そう、この時代、化学品なしで生きてゆくことは困難です。
わたしだって、たべてます。
でも、毒されすぎませんように。
たしかな知識と、「調理」の手間が必要な時代とおもっています。
時代にとりのこされた人間の、妄想でした。
すいません。
