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川の流れのように

[2025.11.02]

名曲

 

知らず知らず 歩いて来た

細く長いこの道

ふりかえってみれば、人生は「川の流れのように

美空ひばりさんの、川の流れにのせた名曲がすきです。

 

鴨長明も、「方丈記」のなかで、人生を川の流れにたとえました。

松尾芭蕉も、「奥の細道」で。

川は人生。

 

じつは、人生だけでなく、わたしたちのも、川の流れのようです。

 

血液が、体のなかを、くまなく流れています。

空気からとりこんだ酸素が、体の中を流れてゆきます。

口からとった栄養も、体のすみずみにまで流れてゆきます。

もちろん、発生した老廃物も、流れてゆきます。

 

そして、この流れが止まったとき。

それが、人生をとじる瞬間です。

 

 

たまには、ふりかえってみましょう。

 

 

流れの医学

 

体の中は、ひとときの休みもなく、流れがつづいています。

 

血液の流れ。

酸素の流れ。

栄養の流れ。

熱の流れ。

老廃物の流れ。

 

流れで人体をみようとする医学が、「代謝学」です。

西洋医学は、代謝学の発展により、おおきな変化をうみだします。

それは病気の概念や、治療法についても同様です。

 

流れがうまくいかない状態。

それが病気なのではないか。

ですから、流れをとりもどせば、病気は快方にむかう。

この仮説は、やがて次々と実証されてゆきます。

 

高血圧症は、流れる血液の量や勢いの問題。

脂質異常症は、脂肪分の流れの問題。

糖尿病は、糖質の流れの問題。

呼吸不全は、酸素の流れの問題。

 

 

 

 

流れをかえよう

 

流れの異常が病気をもたらすのなら、流れをかえればいいじゃないか。

ごもっともな発想です。

流れがよくなれば、きっと体調はよくなるはず。

 

治療法の道すじが、みえてきました。

では、具体的に、どうすればいいでしょうか。

 

流れだから、どこかにお手本はないか。

そうです、流れのことは、川にきいたらいいんです。

 

ふだんの川は、おだやかな流れです。

そこに大雨がふれば、激流になる。

日照りがつづけば、流れがなくなってしまう。

そんな川に、現代人は、何をしているでしょうか。

 

まず、何はなくともダム建築です。

そして河川補修という名の、岸や底をコンクリートでかためる護岸工事

 

手を加えるごとに、流れはどんどんかわってゆきます。

なぜ、そういうことをするのか?

1番の目玉は、流れ過ぎ対策です。

大雨の被害が、いちばんこわい。

 

 

とめてしまえば、いいんです。ストップ。

 

そうだダムがある

 

人体の流れは、どのようになると、病気をよぶのでしょうか。

いちばん多いのが、流れすぎです。

大雨のときの川のイメージ。

 

ひとの大雨の原因は、ハッキリしています。

食べすぎ(飽食)。

つまり、大雨。

動かなすぎ(運動不足)。

つまり、流れの渋滞。

体の中に、河川氾濫状態がおこっているんです。

 

体の中に、濁流が生じてしまっているのか。

だったら、ダムをつくればいいじゃないか。

 

流れにダムをつくる薬が、西洋薬の主役です。

ダム薬かどうか、は薬理名をみれば一目瞭然です。

 

〇〇阻害剤

〇〇抑制剤

〇〇ブロッカー

 

これらは、みんなダムの仲間です。

人体の流れを止めようとする作用。

藤原ダム、下久保ダム、霧積ダム、と同じです。

西洋薬の、7割くらいが、この範疇じゃないでしょうか。

 

血圧の薬、脂質異常症の薬、糖尿病の薬、痛み止めの薬。

 

ま、ですから人体の流れもかわります、キッパリと。

それは、見事なものです。

 

 

 

 

流れの意味

 

でも、あらためて考えてみます。

なぜ流れが増えたのでしょうか。

流れがとどこおったのでしょうか。

理由もなく、流れはかわったりしません。

 

人体の流れが、増えてしまった理由。

それは、食べすぎているからです(飽食)。

それは、動かなすぎからです(活動不足)。

 

と考えれば、流れは止めてしまえばいいのか。

流れをさえぎれれば、解決なのか。

 

日本の河川行政は、ダムを作りつづけています。

岸辺や川底を、コンクリートでおおいつくしています。

その結果、川が川でなくなってしまいました。

はっきりいってしまえば、川をほろびさせています。

とくに大きなダムは、周囲の自然だけでなく、生活も生きものも、破壊しています。

 

流れには、理由があります。

多く流れるのは、多く流れる理由があります。

多い、少ないより、ちゃんと流れているか。

もっと、理由を考えたいです。

 

 

 

 

漢方に、ダムはつくれない

 

幸か不幸か、漢方には、ダムをつくる力はありません。

代謝を止めよう、ブロックしよう、とする力はないということです。

 

じゃあ、何をしているのでしょうか。

流れを、ととのえてゆくだけです。

 

流れすぎていたら、うまく配分してゆく。

流れがとどこおっていたら、流れやすくする。

ダムを作るのではなく、山に木を植えてゆくイメージです。

倒木やゴミを、そうじするイメージです。

 

くわえて、自己養生です(苦笑)。

 

川の流れは、体と重なる部分が多いと感じます。

止めない、いじりすぎない。

お天気にあわせた、自然な流れじゃいけませんでしようか。

 

川の流れのように、ひとは生きています。

 

 

 

 

 

おまけ:飛脚マラソン2025

 

 

飛脚マラソン」という名の大会ができたんでっせ。

北海道のラン友さんからの、悪魔のささやき。

 

大阪は、服部天神宮

むかしから、「足の神様」として知られていたようです。

いろんな足に関わる方の、おまいりが絶えないところだそうです。

足を商売とする飛脚も、例外ではありません。

かつては、飛脚の参拝も多かった、のだそうです。

 

そこの神主さんたちが主体となったマラソン大会。

なので「飛脚マラソン」と名づけたそうです。

 

じつは、わたくし「飛脚」というコトバに敏感に反応してしまいます。

というのも、走りの原点を、飛脚にみているからです。

 

飛脚の走りこそ、日本人の走りのルーツ。

走るのなら、飛脚の走りでゆく、というノリです。

 

 

飛脚マラソンのスタート前です、緊張感は伝わってきません。

 

いざ、参入

 

だったら、走らないわけにはゆかないだろう。

10月の第1日曜日。

 

じつは、とってもユルい大会です。

おおきなスポンサーなども入っていない、手作り大会だからです。

 

まず、ゼッケンナンバーがない。

胸にはる紙には、自分の名前(ペンネーム)を好きに書く。

時計計測がない。

自分の申告した距離を、自分のペースで走る大会。

 

わたしは、最長10里コースを選択しました。

だいたい38キロくらいだそうです。

 

そして、もちろん飛脚スタイル

足もとは、ワラジです。

どうも安政侍マラソンのクセがぬけません。

かくして、飛脚棒をかついで電車をのりつぎ、いざ大阪へ。

 

 

飛脚マラソンに敬意をはらって、やはり飛脚スタイル。

 

 

足もとは、当時にならってワラジ仕様です。

 

 

とにかく楽しむ

 

タイム計測がないくらいですから、スピードを競うなんてありません。

こういう大会が好きです。

なにしろ、走りはたのしむものです。

 

地味に参加、のつもりが、いがいに目立ってしまったようです。

走る前から、ユルキャラのガンバフンバくんと意気投合。

インタビューも受けました。

もちろん、はるかかなたのグンマーの宣伝バッチリ。

 

レースには、ひとつのお約束がありました。

できれば、「エッサ、ホイサ」のかけ声をあげて走る。

 

くもり空のスタートは、中盤から雨模様にかわってきました。

そんななかでも、みんな元気です。

 

コースの半分弱が坂道、というのは予期していませんでした。

雨にぬれた坂道。

大阪だったら、雨の御堂筋なんですけどね(古い)。

そのため、ふだんなら50キロはもつワラジが、徐々にほつれ出します。

 

いよいよ30数キロをこえて、バラバラ。

のこりは、ハダシランとなってしまいました。

 

でも最高に楽しい大会でした。

飛脚文化の再興にむけて、エッサ、ホイサ。

 

地味参加のつもりが、いきなりインタビュー舞台に。

 

道中は、けっこう地味です。

 

まあ、楽しむ、楽しむ、楽しむ。

 

エッサ、ホイサと進みます。いがいに呼吸は大事。

 

最後はワラジが分解、そうなったらハダシしかありません。

 

ゴールは、酒樽にはさまれて、レッドカーペットの上という意味不明な構図。

 

 

最後は、主催者の神主さんとツーショット。最高でしたよ。

 

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