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出口がちがいます、皮膚と発疹

[2025.05.06]

出口をさがせ

 

お化け屋敷に入ったことはありますか?

 

むかし、むかしの記憶です。

お化け屋敷に入ってみました。

見るからに好奇心をくすぐる入り口。

一歩、足をふみ入れると、世界が一変します、ワクワク。

 

ところが、おどろおどろしい、うす暗さ。

あやしい音色。

 

とつぜん、白いお化けがドロドロ。

うらめしや〜

 

こんなところに入ってしまったことの後悔。
(ホントは、こわい系苦手です)

心臓ドキドキ、バクバク。

なのに、途中には、出口はありません。

 

はやく外へでたい。

出口はどこにある

 

やっと出口をこえられたときの安心感。

ふつうの世界の幸せ。

 

 

 

 

からだの入り口

 

わたしたちは、いろんなものを食べ、飲みます。

空気を吸いこみます。

 

それらは、口や鼻を経由して、からだの中に入ってゆきます。

これらを、すべてからだの中にためこんでいたら大変です。

からだがパンクしてしまいます。

 

 

 

 

 

からだの出口

 

からだに入れたものは、利用します。

そのあとは、ふたたび、からだの外へ出します。

出さねければ、次を入れられないからです。

からだの中は、有限の空間です。

出口があるから、生きてゆける。

 

からだには、3大出口があります。

呼吸(と声)の出口である鼻と口

固形物の出口である肛門

液体の出口である尿道

今回は、そのうち、下の出口を主題にします。

 

肛門から出されるのは、「ウンチ」です。

食べものの消化したもの。

腸内細菌類の一部。

腸内のこわれた細胞類など。

 

尿道から出されるのは、「オシッコ」です。

代謝された不要物を水分にとかしこんだ液体。

 

そういえば、もう一ヶ所、出口はありませんでしたか?

 

皮膚は、出口じゃありませんか?

汗がでる。

アカがでる。

 

汗は体温調節のための機能的なしくみです。

微妙な体温調節をになう、しくみです。

アカは、だすというより、離れるです。

ですから、不要になったものを、だしているわけではありません。

つまり、機能面から見ると、皮膚は出口としての「排泄器官」ではありません。

出口」とは、よばない。

 

 

 

 

 

出口がちがいます

 

皮膚から、赤いジクジクした発疹がつづく。

ブツブツが顔をだす。

ぷっくらと、はれがひかない。

かゆい。

あるいは、痛い。

 

こういうことが、皮膚におこることがあります。

よくよく観察すると、何かが「でたがって」いるようです。

 

実際に、でてくることがあります。

ジクジクしたもの。

ブツブツしたもの。

 

でたいんだけれども、でられないことがあります。

ぷっくらと、ふくらんだもの。

たぶん、でたがっているんだろうな。

 

こういうのが、長くつづくと気になります。

いろんな症状もおこります。

そこで、病院にゆくと、名前がつきます。

 

ああ、アトピーですね。

慢性じんま疹ですね。

ニキビですね。

 

でたいんなら、でっきってしまえばいいのに。

そうすれば、おちつくでしょう。

でも、次から次へ、でようとして行列。

なので、いつまでたっても、なくならない(なので慢性化)。

 

ならば、出口に「ふた」をしてみよう。

そういう発想の薬があります。

別名、抗アレルギー剤

抗ヒスタミン剤

ステロイド剤

 

これで解決なら、まあ、よいことにしましょう。

ところが、実際は、なかなかよくならない。

なぜでしょうか。

 

実は、皮膚は出口じゃないからです。

出口じゃないところから、でようとする。

これは、おかしいことです。

出口じゃないところで、出口阻止の薬をつかう。

これは、本来の使い方じゃないかもしれません。

かんちがい。

 

下水管がつまった、とします。

そのため、途中から下水がしみだしてくる。

大変だ、ということで、しみだしたところを止めてみる。

これで、大丈夫でしょうか。

 

出口の「つまり」を解決しないと、ダメですね。

ちゃんとした出口の正常化こそが大事。

 

 

 

 

 

出口は、こっちです

 

がでたがっているのでしょうか。

それは、じつは、むつかしい。

でも、からだが、だしたがっているもの、であることは事実です。

 

じゃあ、すっきりでてもらえばいいじゃないですか。

どこから?

そう、出方は決まっています。

ちゃんとした出口です。

 

ウンチで。

オシッコで。

ここが順調になれば、皮膚からでようとしなくても大丈夫。

皮膚からでる必要もない。

 

こんな考え方があります。

漢方的、東洋医学的発想です。

 

そして医療は何より、論より証拠。

目の前の事実が、何より大事です。

 

オナカの働きをととのえる。

でるべきところから、ちゃんとでてもらう。

さあ、どんな経過をみせるでしょうか。

 

これでスンナリとうまくゆくことがあります。

一方、なかなか、むつかしいこともあります。

なにしろ、皮膚科の専門家でもむつかしい治療です。

道は、はてしない。

 

 

 

 

 

おまけ:チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン(100キロ)

 

富士五湖を堪能しつつ走れる100キロマラソン。

今年は、4月20日の開催。

 

わたしは、12回目の参加になります。

最初に挑戦した100キロマラソンでもあります。

最初は、未知の世界へ、おそるおそるの参戦でした。

 

徹底的なダメージの中、それでも何とか時間内完走。

だんだん、なれてきました。

いえ、ウソです。

何回挑戦しても、ボロボロ、ヨレヨレです。

 

ただ幸なのは、ヨレヨレは体だけじゃありません。

心も気持ちもヨレヨレになります。

何も考えられなくなる。

 

これをいいことに、何も考えずに走りつづける。

もう限界だな。

そういうことも考えない

ただ、歩かない、走りつづけるだけ。

ヘンタイさんの世界、ともいわれています。
(健康にまことよくない)

 

 

午前5時、スタート。すでにココから、ブレてます。

 

 

山中湖から、富士山をバックに。まだまだ、20キロちょい。

 

 

エイドの水分は、すべてマイカップに注いで飲みます。

 

 

エイドは、気分転換にサイコーです。

 

 

コース途中、イノシシさんと出会いました。応援してくれてる訳じゃない。

 

 

42キロは、まだ半分もいっていない距離です。

 

 

経年変化

 

これまでは、何とかなってきました。

スタートさえすればあきらめなければ、ゴールにはたどり着ける。

 

その錯覚を打ちのめされたのが、昨年の大会。

80キロ関門を、制限時間内に通過できずに、そこで打ち止め。

スピード感が、あきらかに低下傾向にあります。

 

なので、特別な思いでのぞんだ今大会。

 

55キロ地点までは、なんとか引っぱれました。

しかし、そこから始まる坂道

歩きがだいぶ入ってきました。

 

のぼり終えてから始まる西湖北岸の走り。

スピードがのりません。

うーん、ヤバい感じです。

 

 

河口湖畔では、桜祭りではなやかです。

 

 

河口湖からのぞむ富士山、きょうは曇り空。

 

西湖畔を走るけれど、スピードがのらない。

 

西湖からでも、ふりむけば富士山、はなぐさめになります。

 

 

62キロ地点は、名物吉田うどんエイド。ツルツル英気をやしなう。

 

 

 

さあ、どうしましょうか

 

時間は、ムジョーです。

確実に、時をきざみます。

 

精進湖をまわる。

ああ、次の関門時間がせまっている。

でも、自分からはおりない。

止められるまでは、走りつづけよう。

 

ということで、今回は、72キロ地点の関門を突破できませんでした。

タイムアウト。

 

昨年が、80キロ関門アウト。

今年が、72キロ関門アウト。

絵にかいたような凋落ぶりです。

落武者気分

 

100キロ先のゴールを、14時間内にめざすのはキツくなりましたか。

この冬は、

勝田全国マラソン(フル)

さいたまマラソン(フル)

ほかに、ハーフマラソン2回、10キロレース1回

を走ってきましたが。

 

ただ、まだアキラめの悪い性根がうずいています。

 

樹海にそって走りつづけますが、スピードがでません

 

精進湖に入ってきましたが、制限時間がせまっています。

 

 

72キロの関門を制限時間内に突破できずに、バスに強制収監。

 

 

がんばってくれたアンヨ。

 

 

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