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沖縄発、アタマ運び文化

[2024.12.22]

ことのなりゆき

 

沖縄の東部から南部を100km走りぬけるウルトラマラソンはじめます。

そんな魅力にひかれて、第1回沖縄100kウルトラマラソンに参加して、はや7回目。

 

初めての沖縄本島は、ここグンマーとは、何もかもがちがう世界でした。

12月なのに、輝く陽光。

日中は、ハダシにゾーリ、Tシャツで十分。

 

何より、文化や歴史が知らないことばかり。

そのため、毎回、沖縄では本屋に入りびたって資料の収集作業。

 

そのなかのひとつ、「身体文化」を紹介させていただきます。

特筆すべきはは「アタマ運び」。

わたくしの命名ですけど。

 

 

 

ごく当たり前に、アタマ運びがあった時代の一場面

 

 

アタマに乗せることが、自然な運搬法だった時代

 

 

昭和の中ごろまで、ふつうにあった光景

 

 

これぞ「アタマ運び」

 

まだ車も冷蔵庫も普及しない、昭和の中ごろまでのはなしです。

 

沖縄南部の糸満漁港

ここには、豊富な魚があがりました。

すると女性たちは、10キロ20キロの魚を、おおきなザルに入れます。

それを「アタマ」にのせると、那覇まで売りにゆきます。

 

約12キロの行程を急ぎます。

なにしろ、上からは沖縄の太陽。

氷もない、ザルに入れただけの鮮魚。

急がねば、魚はいたんで売りものにならなくなります。

 

ほとんど、小走り。

往復で約24キロ、ハーフマラソンをこえる距離です。

 

ひとによっては、それを1日2往復、フルマラソン以上です。

なかには、3往復までする猛者もいたとか。

レースではなく、日常の光景です。

 

そうやってくらす女性も、やがては引退をむかえます。

しかし仕事をはなれてもスラリとした姿勢はそのまま。

人生最後まで、腰の曲がりはみられないとのことでした。

 

アタマにものをのせて運ぶ文化。

これは、世界各地にみられます。

2本足になったひとがみつけた輝かしい文化。

 

 

 

 

アタマにドーナッツ状の布団をのせて、その上にのせるのが基本です

 

 

ごく自然にのせちゃう文化

 

 

さっそく真似てみませんか

 

 

スーパーのマイバスケットを用意します。

これをアタマにのせます。

アタマとの間に、タオルをはさんでも結構です。

片手で、落ちないようにささえましょう。

最初は、中に何も入れないで挑戦。

 

これだけで、姿勢がかわった気がしませんか。

スッキリ立てる。

ひとつの理想的な立ち姿勢です。

 

そしてゆっくり歩いてみます。

ひとつの理想的な歩き方、と考えています。

 

何てったって、美しい

そして、身体的にも、ものすごく合理的です。

 

とくに、スーパー内をカートを押し歩く姿と、比較してみてください。

腰回りを中心に、ちがいがわかるでしょうか。

 

だったら、これからスーパー内は、バスケットはアタマにかつごう。

そういうことは、しないでくださいね。

目立ちすぎです。

 

 

 

 

何でも、のせちゃった方が楽だった、らしいです

 

 

 

小学生だって、自然にできてゆくものだったらしい

 

 

 

バリ島だって、ご覧のとおり、この姿勢の美しさ

 

 

レース結果

 

ということで、オマケの部分(苦笑)。

本年度、第7回沖縄100kウルトラマラソン結果、2024年12月15日。

 

朝の5時のくらやみの中のスタート。

これから14時間、午後7時までにゴールできますか。

夜があけるころ、知念岬を通過、15キロ。

 

沖縄は、の島です。

そして、いつも風を感じる風の島。

走りにくさでいえば、けっこうなものです、坂と風の島。

 

それでも、非日常の光景にはいやされます。

だんだん、日差しが暑くなってきました。

 

中間点50キロを、6時間と数分で通過。

順調です。

 

夏を思わせる太陽光線。

背丈をこえるサトウキビ畑

海からの風、ザワワザワワ。

 

ところが午後にはいると、急に黒い雲におおわれて大粒の雨足

一気に、冷えこんできました。

オナカにこたえます。

なんでもあり、なウルトラマラソン。

 

だんだんとペースが落ちてゆきます。

 

 

午前5時、おバカなランナーさんたちが出発です

 

 

15キロ地点の知念岬、夜が明けてきました

 

 

静かな海面の音を聞きながら、海岸線を走ってゆきます

 

 

 

サトウキビ畑の間の坂をエッチラ登ってゆきます

 

拠点のエイドが立派なのが、この大会の魅力です

 

 

平和創造の森を抜けてゆきます、近くにはひめゆりの塔

 

 

12月なのに、日差しは容赦なくふりそそいできます、暑い

 

 

糸満市内、グンマーにはない光景に感動

 

 

50キロ中間地点、食べ物がちがいます

 

 

50キロ地点をこえて、まだ一見余裕の姿、うしろは糸満市役所

 

 

にしても、ギラギラ光線は12月なんですか、本当に?

 

 

突然におそってきた土砂降りと冷気、一気に冷えちゃいました

 

 

ガジュマルの大木が歩道にふつうにならんでいる光景

 

 

ボクの好きな停留所。海を見下ろしながら、本を読んでバスを待ちたい

 

 

後続ランナーが、記念写真をとってくれました

 

 

にしても、ヘーハー急坂がふえてくる後半戦コースです

 

重力にまける

 

87キロ地点

カーブをえがくくだりの歩道。

段差につまづき、ヨロヨロ。

 

そのまま、勢いをつけて、前のめりにバッターン。

派手な転倒をしてしまいました。

 

うーん、まったく動けません。

疲れと痛さ。

 

しばらくして、わきを通った車が止まりました。

「大丈夫ですか?」

「はい、大丈夫です」

状況は、まったく大丈夫じゃないんですけど。

 

このままじゃ、何もはじまりません。

イテテテテ、となんとか体を起こしました。

 

左のホホ

左手の甲

左ヒザ

左足先

この4ヶ所から、流血状態

くわえて、胸も、しこたま打っていました。

 

「送りましょうか?」

あたたかい声にお礼をいって、でも、レースに復帰しました。

ここで投げるわけにはゆかない。

ただ、ふつうにはもう走れません。

 

92キロの、コース最終関門

制限時間内に到着できずに、関門アウトとなりました。

レースが終了して、収容車にのせられました。

こういうこともある(はじめての沖縄収容車でしたが)。

 

 

夕ぐれの日差しをあびて、ニライカナイ橋から見下ろすチュラ海

 

 

92キロの最終関門を突破できませんでした、うしろには収容バスが。

 

 

左上緑の三角がスタート地点、赤い四角のところで終了

 

 

後日談

 

イテテテテ。

翌日は、筋肉痛より、打撲痛からはじまりました。

 

左膝痛は、正座ができない。

胸骨痛は、寝返りがチョーしんどい。

左手痛は、握力が低下。

左頬部痛は、かむ力がだせずに、リンゴがかじれない。

だんだんと、左顔面は皮下出血で、パンダさんへ。

 

痛みの経過、腫れの変化、所見の推移。

生きた実習です。

 

ま、こういうこともある、ということです。

なので、年末大掃除は、絶賛沈滞中です(いいわけ)。

 

 

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